これからの時代の「新任管理職の対話術」④

私たちは世代によって「異なる風景」を見ている(column30)

前回は、ここ数十年のマネジメントスタイルの変遷を見ました。今回は、「世代間ギャップ」について見ていきます。私たちは、世代によって「まったく異なる風景」を見ています。そのことを理解しないと、いつまで経っても「わかり合えない」ことになります。そこで、どのような世代間ギャップがあるのかを認識し、「では、どうすればよいのか」を考察します。

 

上司と部下で「異なる風景」を見ている

 前回のコラムで、ここ数十年のマネジメントスタイルの変遷を見ました。1995年くらいまでの「異常な130年」。バブル崩壊後の「失われた20年」。そして、いよいよ始まった「人口減少社会」。これほど世の中の変化が激しいと、生まれたタイミングが少し違うだけで世の中の風景がまったく異なって見えます。今回は、これを注意深く辿っていきましょう。

 

団塊世代

 特徴的な世代として、まず取り上げたいのが、現在70歳前後の「団塊世代」です。戦後の高度経済成長の原動力となった人たちですね。人生の大半が日本の成長期だった世代でもあります。もう、ほとんどの方はビジネスの第一線から引退していますが、人口が非常に多いことから、今でも消費や世論形成の面で日本に大きな影響力を与えています(1949年生まれは約270万人 2015年生まれは約101万人)。

 

団塊世代は、大勢の中で揉まれるように育ったため、ぶつかり合うようなコミュニケーションの中で過ごしてきました。また、生まれたころは終戦後で貧しかったものの、その後に日本経済がどんどん成長する中で、「頑張れば報われる」という価値観が育まれていきました。

 

新人類世代・バブル世代

筆者は1965年生まれで、いわゆる「バブル世代」にあたります。私たちの少し上に「新人類世代」がいます。新人類と呼ばれた人たちが、もう間もなく定年を迎えるわけですね。これらの世代は、人生の半分くらいまで日本の成長期でしたが、後半は停滞期の中で過ごしてきました。団塊世代ほど無邪気に「頑張れば報われる」と信じ込んではいないものの、やはり根っこのほうにそうした価値観が沁みついているように思います。

 

ちなみに、筆者が社会人になったころは、直接の上司が団塊世代で、さらにその上に「昭和ひとケタ」という世代がいました。名前の通り、昭和ひとケタに生まれた世代で、成長期に戦争でひもじい思いをして、さらに思春期の多感な時に軍国主義から民主主義教育にガラッと変わる経験をしたため、かなり独特な価値観をもつ世代でした。実は筆者の父親も昭和ひとケタだったのですが、自分の考えが全てで他人の言うことにまったく耳を貸さないタイプの人でした。バブル世代というと、お気楽なイメージがありますが、「昭和ひとケタ」と「団塊世代」という強烈な個性の上司たちに揉まれて、それなりに若いころは苦労していたのです(笑)。

 

団塊ジュニア世代

 現在45歳くらいの人たちは、団塊ジュニア世代と呼ばれています。子供のころニュースで日本の好況を見聞きしていたものの、社会に出るころにはすっかりバブルは崩壊していました。「就職氷河期」という言葉が生まれたように、厳しい就職活動を乗り越えて社会に出てきました。そのため、「どんなに頑張っても報われないことがあるんだ」ということを、学生時代から思い知らされた世代でもあります。

 

団塊ジュニア世代の苦労は、社会に出てからも続きました。まず同期が少なく社内勢力として弱いこと。さらに就職氷河期がしばらく続いたため後輩も少なかったことです。そのため、やたら人数が多いバブル世代の先輩たちの下で、「いつまでたっても一番若手のまま」という状態に長く置かれることが多かったのです。

 

ゆとり世代

現在35歳以下の人たちは、「物心ついてから、ずっと日本の停滞期しか知らない世代」になります。ニュースでは「過去最悪の」「過去最低の」という言葉が繰り返されました。「『過去最大』という言葉が出てきたので、よく聞いてみたら『下げ幅』だった」という笑い話があるくらいです。

 

ゆとり教育を受けた、いわゆる「ゆとり世代」はこの中核をなしています。筆者の開発した研修に、具体的な悩みをお互い自由に相談し合う演習があるのですが、この時にゆとり世代の方の多くが「老後のこと」を題材として取り上げます。もっと上の世代の人たちからすると、「そんなに若いうちから老後のことを心配するなんて」と感じることでしょう。でも、物心ついてからずっと悪いニュースばかりに触れていたら、老後に希望がもてずに不安になるのもわかるような気がします。

 

ただ、この世代の人たちは「楽しむ」ことをよく実践できていると思います。「オリンピックを楽しみたい」などと言って、実際にのびのび活躍する選手が多くなりました。昔の「頑張れば報われる」という価値観の人たちからすると、「楽しむなんてとんでもない」「歯を食いしばってやるのが当然だ」と感じることでしょう。しかし、先日の冬季オリンピックを見ていても、笑顔を見せながら素晴らしい活躍をする選手が多くなりました。若い方々が、こうしてのびのびと活躍できるようになったのは、大変好まししいことだと思っています。

 

さとり世代?

 現在20歳以下の人たちを「さとり世代」と呼ぶそうです。ゆとり世代の人たちは「楽しいことには一生懸命に取り組む」という面がありました。学校の先生の話を伺うと、さとり世代はそうしたところが見受けられないとのこと。「火をつけても燃えない」などと言われているそうです。

 

彼らは、子供のころから携帯電話があり、インターネット環境が当たり前の中で育ってきました。昔、ゲームは「居間で皆でやるもの」でしたが、十数年前から「自室で独りでやるもの」になりました。こうした中で育つと、ぶつかり合うコミュニケーションなんて、とてもムリですよね。どうしても当たり障りのないコミュニケーションが主流になります。あと数年すると、こうした世代が社会に出てくるわけです。

 

世代分けすることが目的ではない

私は決して、「この世代はこういう人だ」と決めつけるつもりはありません。そうではなく、こうした世代間格差があることを理解した上で、お互いがよりわかり合えるようにする工夫を考えるべきだと思うのです。

 

若い世代の人たちは、ぶつかり合うようなコミュニケーションは苦手で、当たり障りのないコミュニケーションに居心地の良さを感じます。また、自分なりに楽しさや意義を感じることは頑張るものの、意味のないことを「頑張れば報われる」などと言って押し付けられるのは苦手です。上の世代の人たちは、このことをよく理解して接するべきだと思います。

 

相手に乗り移った気持ちで考えてみよう

ビジネスは、相手のことをよく理解したほうがスムーズに進められます。その際に、「相手の立場になって考える」ことが大切です。以前、あるカリスマ美容師の方が、「私はカットの前に、お客さんの着ぐるみを被ったつもりになってイメージする」と話しているのを聞いたことがあります。これなど、「相手の立場になって考える」の具体的な実践例だと思います。決して、カットの技術だけでカリスマ美容師と呼ばれているわけではないのですね。

 

もし皆さんが、「20代の部下のことがわからない」「バブル世代の上司のことがわからない」などと感じていたら、まずは相手の立場になって考えてみましょう。それこそ、着ぐるみを被るようにして(笑)。そうすると、気づくことがたくさんあると思います。もちろん、相手のことがすべてわかるわけではないのですが、それでも理解は相当進むと思います。さらに、「この人は、私のことをわかろうとしてくれている」ということが伝わると、相手との距離がグッと近くなります。

 

ここまでお話ししてきて、対話において相手の話を聞くことの大切さはよく理解していただけたかと思います。しかし、「上司や部下の言うことを何でもかんでも聞いていると、振り回されてしまって仕事にならない」という事態になりかねません。実は、「話を聞く」のと「言うことを聞く」のは違うのです。この点をわかっていない人が、ベテランでも実に多い。次回は、この点を考察していきます。