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「多様性の大切さ」について考える

当社では、対話を業務に活かすことをテーマにした研究会を開催しています。実に様々な方が参加されており、おかげで大変有意義な活動になっています。この研究会を運営していて、多様性の大切さを再認識しました。そこで今回は、「多様性の大切さ」というテーマでコラムを書いてみます。

 

私が感じた、「多様性は大切である」ということ。これを、もう少しかみ砕いて言うと、「多様な視点で物事を見ることが大切である」ということです。私たちは、どうしても「自分の視点」に拘ってしまいます。そして、自分の視点には「偏り」や「盲点」があることを忘れてしまいがちです。

 

こうした「偏り」「盲点」を埋め合わせるためには、いろんな人の視点を足し合わせる必要があります。ここで大切なのが、「いろんな人=多種多様な人」であることです。いくら数が多くても「同じような人」の視点を足し合わるのでは、偏りや盲点は解消されません。

 

これ、当たり前のように思えて、実はそうでもないんですね。実際に、私たちがよく知っている「優秀な人たちが集まっている組織」において、その「偏り」「盲点」による問題が発生しています。ここでは3つほど、その具体的な事例を取り上げてみたいと思います。

 

①CIA

同時多発テロ事件(9.11)が阻止できなかったのは、当時のCIAが多様性の欠落した組織であったことが影響している

 

②いわゆる「コロナ専門家会議」

「行動の抑制」という単調なメッセージしか発せられないのは、専門家会議のメンバーに多様性が欠落していることが影響している

 

③政府・官庁

「アベノマスク」「リモートワークの協力要請で首相が経団連を訪問」など、一般常識から見て首をかしげざるを得ない政策・行動をとってしまうのは、政治家・官僚の多様性の欠落が影響している

 

CIA、専門家会議、政府、官庁などは、どれも非常に優秀な人たちの集まりです。しかし、これらの集団には、多様性が欠落しています。それによって「偏り」「盲点」が発生し、大きなミスや単調なメッセージ、トンチンカンな行動が生まれているというわけです。

 

それでは、3つの事例を一つずつ見ていきましょう。

 

①CIAにおける多様性の欠落

1990年代までのCIAは、「白人、男性、アングロサクソン系、プロテスタント」で占められていました。実際に、1999年に開催されたCIAの会合は、演題に立った35人全員が白人で、しかも34人は男性だったとのこと。そして、300人の参加者も、やはり99%が白人だったそうです。

 

このCIAにおける多様性の欠落は、当時から問題視されていました。しかし、当のCIAは、「CIAは能力主義なのだ。2万人に一人ともいわれる狭き門を通れる優秀な人材を選べば、結果的にそうなってしまう。多様性を尊重して、採用のハードルを下げることはできない」と言って、頑として修正しようとしませんでした。

 

結果として、その「優秀な人材」たちは、「あご髭の長い細身のサウジアラビア人」の危険性を見抜くことができませんでした。彼が質素な服を着て洞窟に座り、自動小銃を抱えて聖戦を呼びかける映像を見ても、何も感じられなかったのです。

 

しかし、イスラム教に詳しい人たちの目には、このオサマ・ビンラディンの行動は全く違って見えました。彼が映った映像は非常に戦略的に作られており、イスラム教のシンボルを巧みに使って、ムスリムたちを激しい行動に駆り立てる効果がありました。

 

預言者のムハンマドはメッカで神の啓示を受けてイスラム教を説きましたが、多神教から迫害されて洞窟に逃れました。ビンラディンが佇んでいた洞窟は、アカシアの木、大きな蜘蛛の巣や鳩の卵など、神を象徴するシンボルで守られていました。さらに、彼は断食を行って痩身になり、迫害された当時のムハンマドを想起させる預言者の風貌をまといました。

 

白人からすると、時代錯誤の貧しい連中の映像に見えたものが、ムスリムからすればイスラム社会の輝きを取り戻そうとする力強いメッセージに見えたわけです。実際に、この映像を見た若者の多くが、後にテロ行為の当事者になりました。

 

当時のCIA職員たちは、怠けていたわけでも、能力が足りなかったわけでもありません。ただ、自分たちの視点には偏り・盲点があることを認識していなかったのです。真珠湾攻撃以降、アメリカ政府は奇襲攻撃を察知することを重視してきました。そのために1947年にCIAを作り、「優秀な人材を集める」ことを熱心に行ってきました。しかし、「視点の偏りや盲点をなくすために、多様な人材を集める」ことは忘れていました。それが、あの悲劇を防げなかった原因の一つだと言われています。

 

なお、こうした背景から、現在のCIAは採用活動において多様性を重視しているそうです。

 

②いわゆる「コロナ専門家会議」の多様性の欠落

私は新型コロナウイルスに関する報道を細かく追っているわけではありませんが、政府や自治体に近い、いわゆる「専門家会議」が発するメッセージは、行動の抑制を促す単調なものばかりだったと記憶しています。

 

これらの専門家会議は、「医療の見地から助言を行う」という立場になっています。ですから、医者や感染症の専門家が集められるのは当然なのですが、多様性の欠落した集団であることは間違いありません。それが、メッセージが単調になってしまう原因の一つだと考えています。

 

途中から、法律家や経済学者などが入ったようですが、社会心理学者などは見当たりません。「人と人との接触機会を減らす」ことが正しい判断だとしても、「それをどういうメッセージで伝えれば効果的なのか」「メッセージを受け取った人たちが、どのように感じるか」などについては、あまり考えられていないようです。

 

一か月くらい我慢してもらうだけなら、コロナウイルスの危険性を流布して、三密を回避するなどの教育を行い、行動の抑制を呼びかけることが有効です。しかし、それが長期にわたってしまうと、「我慢してください」と言うだけでは、馴れや疲れが生じてしまいます。それがわかっていても、単調なメッセージを変えることができない。

 

ちなみに、頑張ってもらうのに大事なのは「認めてあげること」です。たとえば、慣れない人がマラソン大会に出たとしましょう。走っているうちに、だんだん苦しくなってきます。この時に、ずっと「まだまだ我慢が足りない。もっと頑張れ!」と言われ続けたら、「こんなに頑張ってるのに…」とガックリきてしまうでしょう。時には、「いいぞ、いいぞ、その調子!」と言ってほしいし、そう言われたらもう少し頑張ろうと思いますよね。

 

特に日本人は、認めてあげたり、褒めてあげたりするのを、ためらう傾向があります。「そんなことをすると、気が緩む・調子に乗る・つけ上がる」というわけですね。それで、ことが終わってからご褒美をあげたりします。しかし、「即時的報酬」と言いますが、そんなに大それたご褒美などあげなくても、「いいね!」くらいの簡単なものでいいから、途中で認めてあげる。タイムリーに褒めてあげる。これが、頑張らせるコツなのです。

 

今回のコロナ禍において、政府、自治体、専門家会議の発するメッセージのほとんどは、「まだまだ我慢が足りない、もっと頑張れ」という一本調子のものばかりでした。人出や感染者数が減少に転じても、「まだまだ足りない」の一点張りです。実際に、「まだまだ足りない」としても、少しでも減少に転じたなら、すかさずそれを認めてあげる。頑張りや協力に感謝する。すなわち、「即時的報酬」を提供する。こうしたメリハリを入れないと、どうしても「コロナ疲れ」に陥ってしまいます。

 

いくら優秀な人たちの集まりでも、多様性の欠落した組織が発するメッセージは、単調なものになりがちで、効力が限定されるという事例になると思います。

 

③政府・官庁の多様性の欠落

これについては、それほど字数を必要としないかと思います。「アベノマスク」には呆れました。さらに呆れたのが、「菅前首相が経団連を訪問してテレワークの推進を要請した」というニュースです。少し考えれば、「それこそ、リモートでやるべきだろう」ということくらい、わかりそうなものですよね。

菅前首相が経団連を訪問してテレワークの推進を要請
菅前首相が経団連を訪問してテレワークの推進を要請

政治家は、その多くが親の地盤を受け継いだ世襲議員です。さらに、年齢的にも、性別的にも偏りがあります。また官僚も、同じような大学を卒業して、同じようなプロセスを経て官僚になった人たちです。非常に優秀な人たちの集まりですが、多様性に欠けていることは間違いありません。

 

優秀な人たちが集まっていても、それが同じような人たちの集まりであれば、必ず「視点の偏り・盲点」が生じます。それが、一般常識から見て首をかしげざるを得ない政策・行動をとってしまう原因になる。私たちは、そうした「優秀ではあるが、多様性のない集団」に日本国の運営を委ねていることを、忘れてはならないと思います。

 

 

とはいえ、以前のCIAが、「CIAは能力主義なのだ。多様性を尊重して、採用のハードルを下げることはできない」と言って、頑として修正しなかったように、「多様性の確保」と「優秀な人材の確保」は一見すると相反する関係に思えます。さらに、「多様性を確保しようとして、バラバラになり、かえって非効率になる」ことは避けなければなりません。次回以降のコラムでは、それらをどのように解決するべきか考えてみたいと思います。

 

参考文献

「多様性の科学~画一的で凋落する組織、複数の視点で問題を解決する組織」マシュー・サイド p12~p58